墓終いに思ったこと
先日、墓仕舞いという番組をチラ見した、初めて知って驚いた(=^・^=)😿
いくつになっても知らないことが次々出て来るものだ"(-""-)"
もう拝むのも墓にお参りするのも止めたという合図の最終お墓処分場お寺。
其処には無数のお墓や塔婆や地蔵などがところ狭しと置いてある、圧巻である。
私の目に入ったのは、どこかの誰かの銅像だった、銅像主は、作った当時は
此れで私は末永く永遠にその足跡を残せると踏んだか?良くタカリ目!(^^)!
ところがひ孫やしゃ孫、馬の骨と代替わりすると、そんなもん、要らんと相成る
ようだ、それで墓終い寺に預けて本当の御終いになるって感じだ。
人間欲を掻いては遺憾のじゃ、死んだらそれでお終い、その後も永遠に足跡を
なんざ、100年早い考えだ、通用せんのじゃ(=^・^=)😿残念
ポイッと捨てられてお終い、捨てたんじゃ無いと言っても墓終い寺に預けて
それ以降縁も所縁も無くなるっていうだから捨てたと言っても過言では無いだろう。
俺も父母弟と墓に入っているが代が変わってお布施をしなくなれば
いずれそんなところに預けられ縁もゆかりも無く涼しく土地の肥やしになって
いくんだろうなあ、あんたもそうかも?!(^^)!縁起でも無い、御尤もです。